自分の感情を大切に

嫌だなと思う気持ちが湧き起こる時、

これは甘えかな、

これは自分勝手かな、

これはかまってちゃんぽいかな、

とか

あらゆる言葉で自分の感情を否定して、押し殺そうとしてしまう。

 

だけど、その感情こそが、

私にとっての道標なんじゃないかな。

その思いを無視してはいけない。

違和感やモヤモヤを、見てみぬふりしてはいけない。

それこそが、私にしか感じられないことだから。

 

他人は私の人生の責任を取ってはくれないから

他人がどう思うか、他人にどう思われるかではなく、

私がどう感じるか。

それを指標に生きていく。

 

皆それぞれ自分の声を聞くことで忙しい。

私が私の声を聞いてあげないと、

私の声は埋もれて消えていってしまう。

それは私が消えてしまうのと同じこと。

 

私がもし神様だったら、

子どもである私には、良い気持ちでいて欲しい。

自分の声に気づいて、自分を大切にして欲しい。

 

だから私はそうする。

 

投げやり

私なんて、取るに足らない存在なのだ、と

卑屈で投げやりになってしまう時が時々ある。

 

今ちょっとだけそうなっている。

 

自分を大切な存在に思えない。

誰からも大切にされていないと感じる。

 

たぶん今週は働きすぎだ。

だからこうなった。

 

楽しいことが足りてない。

 

来週のスケジュール、考え直そう。

ちょっと疲れたなぁ

ちょっと疲れてしまった。

今週は、試しにガッツリ働いてみよう、と思って、

私の基準でだけど、ガッツリ働いてみている。

 

結果、ちょっと疲れてしまった。

 

疲れの出てくる水曜日。

 

来週は1日、休みを取ろうと思った。

学生の時の気持ち

最近、学生の時の気持ちを思い出した。

社会の常識という名の間違えたルールにまだ縛られていない頃、

大人に言うと呆れられそうなことばかり考えていた。

でも、今もそれが本心のように感じる。

 

「のんびりとおしゃれな空間で働きたい」

「まったりと楽しく暮らしたい」

 

私が中高生の頃、広島のパセーラという商業施設に、

AIDAという素敵な店が入っていた。

友達とよく通ったものだ。

行くとそこにあったもので色んな想像を膨らませた。

パセーラという施設もおしゃれで大好きだった。

 

大阪の大学に行っていた時も、

緑地公園の近くにカフェ併設のAIDAがあったらしくて、

そこで働きたいなと思っていた。

うっすら記憶では、電話で問い合わせたように思う。

今は募集していない旨、丁寧に伝えられたような。

 

広島と大阪では色んなものの大きさが違って、

人の数も違って、

夢のひとり暮らしは、思っていた感じには暮らせなかった。

 

そこからバタバタバターと社会人になって、結婚して、子供が産まれて、

バタバタっと来てしまった。

 

今、あの頃とは世間の常識が大きく変わった。

一体何だったの!?っていうくらいひっくり返ったこともある。

 

だから、常識なんてもう信用しない。

私の心に尋ねるのが一番だ。

 

外に答えはない。

私の中にいつも答えはある。

 

私の本心を探る

最近、

探している書籍、動画、ブログに求める内容、

なかなか思うようなものが見つからないけど、

その「思うようなもの」の基準に目を向けてみよう。

それって私が本当にそうしたいことだ。

 

・シンプルなクローゼット(私服を制服化)

・正社員からアルバイト、もしくはフリーランスになるというもの

・↑のために、暮らしを小さくするというもの

・バッグはこの3つです、というもの

 

色々失敗ばかりで、フラフラと定まらない私。

だけといつも↑のような内容を探している。

どこかに答えを求めている。

だけどこうして集めて文字にしてみると

もう答えは出ているよね。

 

探しているものが私の本心。

 

答えはいつも自分の外側ではなく内側にある。

余力

ここ最近、余力という概念を知った。

初めてその存在を知ったという意味ではなくて、

余力の価値というものを認識したということ。

 

今まで、できることは全力でしないといけないと思っていた。

だから全力を出していない=サボっている=悪いことをしている=バレたらまずい

と思っていた。

 

でもそうじゃなかったんだなぁ。

全力で息切れするほどクソ真面目に頑張っていても、

ある日突然燃え尽きて、結局動けなくなって休みたくなって、

たどり着くゴールは一緒。

そしてゴールは一緒だけど、

一方は心身共に疲れ果て、

一方は正常な状態。

 

そして全力の方は、そちらの方しか向いていないので、

周りが見えない。

ゴールに着くと、他のことがとんでもないことになっているかも。

 

今まで自分がサボりだと勘違いしていた”余力”の存在。

それがあれば、いざというときの力になる。

優先順位だって間違えにくくなると思う。